昨日はとある政党で働く方と、政治家を目指す政策シンクタンクにいる方、某省の官僚の方などと飲み会をしていました。
税政の話になり
「やっぱり増税は必要だよね」
という話になりました。
私の意見は
・それは必要なのはわかるけれども、日本全体がシュリンクしないように、海外から売り上げを持ってこれるように、国外競争力のある産業を育てることも、国は考えてほしいよね
・国外競争力のある産業を育てるには、競争力がないと思われる既得権益や保護されている業界への厚遇をやめるべき
ということ。
ある程度まっとうで、大方の人の意見だとは思うんですが・・・
しかしこれが大激論。
「そんなことはすでにやっている」
「選挙で票が取れないからやらない」 ←(これが問題だと思う)
「これ以上やれば暴動が起こる(?)」
「昨日まで○○業界にいた人間が、明日はSEになれるわけないだろ?」
「民間は民間でがんばればヨシ」
ついには
「政治がわからないのに、くだらないことを言うな」
「お前がやってみろ」
「自分の会社が苦しいからそんなことを言うのか?」 ←・・・そこまで勘ぐる?
なんてことを言われまして。
うぅーん。。。
なんか、よくある空回ってるテレビ討論とか、国会の揚げ足とりみたいな・・・
自分自身にこういう空転する議論が降りかかるとは思いませんでした。
私は極論を言うわけではないのに、0か1かの話になっちゃって、なんか極端なことを言っている人、という位置づけにいつの間にかされてしまう。
気づいたんですが、
「政治がわからないのに、くだらないことを言うな」
という一言に色々と凝縮されてるな、と。
当たり前に、そんなことは徐々にやればいいし、保護すべき産業は当然保護すればいいと思う。実際の困難は当たり前だよね。
そうじゃなくって、もっと大枠のことを言いたかったわけです。
普段、身の回りの人とこういう議論をすれば、そのあたりは当然のコンセンサスとしてあるから、会話が成り立つんです。
政治エリートである政治家や官僚しか政治のことはわかっておらず、私含む一般ピープルは子供のように無知である。
だから無謀なことを平気で言ってくる。
・・・と思われているんだなぁ。
そりゃー、24時間、政治について考えているわけではない。
しかし、普通の一社会人としての常識ぐらいはある。
だから、別に無謀なことを言っているわけではなくって一意見なんですけどねぇ。
私は特に、小さい会社ながらも経営者ですから、産業や経済のことばっかり考えてしまうところはあるけれど・・・。経済学部出身だしね。
日本の競争力が落ちている、ということを、あまり現実問題として深く考えていないし、感じていないようにも思いました。
そんなことは民間ががんばればよい、と。
私は日ごろ、マスメディアは批判ばかりしているのがちょっとなぁ、と思っていました。
政治家がダメだ、官僚がダメだ、とか
国民の感覚とずれている、とか。
官僚や政治家も、ある程度の選抜を経てなっているわけだから、そういう人たちはもっと色々わかっているだろうし、国益を考えて、一生懸命やってそういう結果なんだろうなと。
感覚がずれている、というのも麻生首相のバー通いみたいに、ヒステリックに取りすぎなのかと。
違うんですね。
生身の人間が生身の判断でやっている。
批判は言い続けなければいけないんですね。
でないと、声が届かない。
相互理解できないのは大体コミュニケーション量が足りないことが理由だと思うんですが、色々な形でコミュニケーションをとらなければいけない。
質にもよるけれども、メディアによる批判は、量が多い必要がある、と。
そして、感覚が確かにずれている!
と感じました。
私の場合は、事前の、暗黙のコンセンサスがないということに原因があるのでは、と思うんですが。
もちろん、昨日その場にいた少数の人間を見て、だから○○はダメだ!とか官僚がダメだ、政治家がダメだというわけではないです。
すばらしい人もいる。
なんとなく・・・
・・・それで帰宅してPCをつけると、Twitterに色々流れている。
孫正義さんが、Twitterでいろんなことをバシバシ決めて、バシバシ発信して直接消費者に声を届けている。
(孫さんは自分の会社だから、いろんなことすぐ決めれる、とかはさておき)
このダイナミズムはすごい。
急に未来へ来た気がしました。
そういうダイナミズムと、妙にアナクロな世界の、今はハザマじゃないかなと思います。
ネット選挙が解禁になったら、色々変わるかな?
コミュニケーション量は絶対に増えると思いますから。
というわけで、昨日はとても色々な発見がありましたし、考えさせられました。
そういうことに気づかせてもらい、昨日時間を割いて集まってくれた方には感謝したいと思います。